稽古場レポート第十三回 – 11月23日

投稿者: dcpop13aqua

『アクアリウム』の稽古場レポート、第十三回をお届けします。
(目下『アクアリウム』について耳寄りな情報が公開されていますので、そちらもよろしくです。 →『アクアリウム』情報公開第3段!! http://ow.ly/r7V4g

俳優ってスゲェ。

今さらながらそういうことを思います。本日も前日から引きつづいて立ち稽古ですが、今回は演技を長めに回せるよう中断後まとめてダメ出しを言うかたちで、中盤〜終盤入口までを三度通しました。そして当然、くり返していくうちにシーンが谷演出の意図どおりブラッシュアップされていく。俳優がダメ出しを受けて演技を変えていく結果、そうなる。でもそれって、考えてみれば、俳優が自分の身体にダメ出しの修整を固定できなければ、不可能です。一度(場合によっては何度か)出したダメ出しが固定化するからこそ、そこから重ねて新たな修整が可能になる。当たり前のことと言えば当たり前のこと。しかし谷演出の出すダメ出しがめちゃくちゃ細かい上に、ときには難解な喩え話での注文だったりして、だから、俳優の方々が当たり前にやっていることの凄さというものは、やはりある。以前の修整(読み合わせ時のニュアンスの修整も含む!)が抜けてしまったら、ブラッシュアップ自体が成立しないわけだから。しかもその修整というのが、そのつど繊細な集中力を必要とするものであって。その過程をつぶさに見学しているからこその、「俳優ってスゲェ……」という感想になるわけです。

そして、そもそもブラッシュアップした結果どうなるか、ということ。この点については、稽古場で見ていて二重の驚きがある。一つには、「こんな細かいところまで直すのか」という驚き。でもう一つは、「あの些細な修整が実際やってみるとこんなに効果的なのか」という驚き。たとえば、MとNという人物が上手から舞台に入ってきて、歩きながらMはNに話し掛けるが、Nは憮然としていてすぐ下手の方へ立ち去ってしまう……という局面がある。ここで脚本上はNからもMに返す言葉があるため、Nはちょっと立ち止まる必要がある(舞台から去る前に科白を吐く必要がある)のだが、それでやや、Nの「すぐにも立ち去りたい」動機があいまいになってしまう。最初はN役の俳優に対して「もうそのまま舞台を横切って下手に消える勢いでいいよ」と指示が出たけど、上手くいかない。なので、今度は、MにNの袖を掴ませておいて、Nが科白を言った後にもずっと掴ませつづけて、Mが顔を別の人物の方へ向けて話し出すあいだも掴ませつづけて、NにMの手を強引に振りほどかせて去らせる、という一連の動作を加えた。するとようやくこの局面のぎごちない感じというか、雑な部分が消えて、MとNのやり取りがきびきびした自然の流れとして、際立ってきたのでした。或る意味、こうした直しを入れる前のMとNのやり取りでも、まあ、成立していたと言えば言えます。Nが無目的に立ち止まる点に、引っ掛かるひとは引っ掛かるかもしれないけど。でも、修正した後のやり取りとの相違は、紛れもない。明らかに修正後の方が不自然さがなくなっている。人物の動きの輪郭が印象づよくなっている。

もちろん、とくに書き上げられてから日の浅い後半部分では、まだ谷演出が「ここではこんなことがしたい」と解説しつつのダメ出しになりますが、おそらく俳優に科白が全部入り、作品総体のイメージが全員で共有できる頃には、最後まで、上述のようなブラッシュアップ、俳優に固定される演技のヴァージョンアップがつづくのだろうと思います。

というわけで、実は、この日一応『アクアリウム』の台本は完本したのでした。その読み合わせを終えて、谷演出の一言。「まだちょっと不安要素はありますが、たぶん、全部意図どおりにいったら、最終的に良い作品になるだろうな、って気がする読みでした。」

実際、良い作品になると思います。次回のレポートにつづく。

【今日の一枚+α】
この日は、冒頭にウォーミングアップとして「名前オニ」を行ないました。自分自身の名前でやってもつまらないので、今日のお題は「アメリカ人の名前」。このレポートを書いている今、東谷=ロドリゲスという事実だけが記憶に残っています。
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ダメ出しタイム中。時には高度な理解を必要とする注文も。──「ここは、なるべく整理されてない文章をあえて書いたところもあるので、『こうで、こうで、でもこういうことも言えて、でも僕はそうは思っていなくって、こうではなくて、でもこうで……』みたいな、思考のジグザグのスピードを出してほしい。この辺りって、お客さんが字面を追っかけちゃうと逆に成立しないタイプの科白なんだと思う。だからもっとポンポンポンと喘ぎながら考えてる感じを出せるといいと思う。」
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